—
導入:なぜ痛み止めの新技術が必要か?
痛みは私たちが体の異常を感じ取る重要な信号ですが、外科手術やがんなどの病気による強い痛みを和らげるためには、強力な痛み止めが必要です。現在、最も効果的な痛み止めの一つに「オピオイド」(モルヒネなど)があります。しかし、米国では毎年8万人以上がオピオイドの過剰摂取(オーバードーズ)により命を落とし、依存症も社会問題となっています。
そこで、京都大学の萩原正俊教授らの研究グループが開発した新しい鎮痛薬「ADRIANA」は、オピオイドとは全く異なる作用機序(仕組み)で強力な鎮痛効果を示し、依存や重大な副作用がないとして注目を集めています。この技術が痛みの医療と社会にどんな変革をもたらすのか、解説します。
—
1. 痛みの背景と既存の鎮痛薬の課題
痛みは神経を通じて脳に伝えられます。強い痛みを抑えるには、痛みの信号伝達の仕組みを阻害する薬が必要です。
オピオイドの仕組みと問題点
- オピオイドは脳や脊髄のオピオイド受容体に結合して痛み信号を遮断します。
- 効果が強力ですが、長期使用で依存症や呼吸抑制などの副作用が生じます。
- そのため、欧米を中心に「オピオイド危機」と呼ばれる社会問題が発生しています。
—
2. 「ADRIANA」の仕組み:痛みを抑える新たな神経メカニズム
ノルアドレナリンとα2アドレナリン受容体
人間や動物は、生命の危機に直面すると神経細胞からノルアドレナリン(NA)という神経伝達物質を放出します。これは脊髄の特定部位にあるα2Aアドレナリン受容体を活性化し、痛みを抑制します。
- しかし従来のα2A受容体活性化薬は、痛みは抑える一方で血圧や心拍数の上昇という副作用があり、 ICU(集中治療室)など限定的な場面での使用に留まっていました。
新たな視点:α2Bアドレナリン受容体の抑制でノルアドレナリンを増やす
萩原教授らは、α2Bアドレナリン受容体がノルアドレナリンの放出を負のフィードバックで制御していることに着目。すなわち、
「α2B受容体を選択的に阻害すれば、ノルアドレナリンの分泌量が増え、α2A受容体を活性化し続けて痛みを強力に抑制できるはず」
という仮説を立てました。
—
3. 技術のポイント!世界初のα2B選択的阻害剤の発見と評価
難しいα2受容体サブタイプ別の活性測定
- α2受容体には、α2A、α2B、α2Cの3タイプがあります。
- 従来技術では個別のサブタイプの活性を測定するのが困難で、α2B特異的阻害剤は未発見でした。
新技術「TGFαシェディングアッセイ」の活用
- 京都大学の井上アスカ教授の最新技術「TGFαシェディングアッセイ」を用いて、
- 約500種類の小分子化合物からα2B受容体だけを選択的に阻害する物質をスクリーニングし、
- 世界で初めてα2B阻害剤「ADRIANA」の開発に成功しました。
マウスを使った実験での効果検証
- マウスにADRIANAを投与すると、脊髄のノルアドレナリン濃度が上昇。
- 手術後の痛みや骨肉腫の痛みに対して、モルヒネと同等の鎮痛効果を示しました。
- 依存症や行動異常も見られず、安全性が高いと判明しました。
—
4. 最新の臨床試験と今後の応用
人間を対象とした臨床試験
- 京都大学病院で健康な被験者と肺がん手術後の患者を対象に第I相・第II相臨床試験が行われています。
- 既に有望な結果が得られており、米食品医薬品局(FDA)と相談の上、2025年に米国で大規模な第II相試験が計画されています。
将来の医療現場での活用
- ADRIANAが実用化されれば、強力で安全な非オピオイド鎮痛薬として、依存の危険なく様々な痛みに対応可能。
- 特に、アメリカのオピオイド危機への対策としても大きな貢献が期待されます。
—
まとめ:ADRIANAが切り開く痛み治療の未来
萩原教授らのADRIANAは、神経伝達物質ノルアドレナリンの放出メカニズムを巧みに利用し、オピオイドとは異なる新たな鎮痛薬の道を拓きました。これにより、
- 強い痛みを依存症リスクなしに抑えられる可能性
- 世界的なオピオイド問題の緩和
- 日本発の画期的医薬品としての国際的貢献
が期待されます。
今回の研究は「基礎研究から臨床応用までの一連の流れ」を示している点も注目です。新しい生体の仕組みの発見が、医療を大きく変える可能性を秘めています。
—